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教育の中心地、緑の福治都市ノウォン

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歴史

  • ‘蘆原’の由来
その昔、祖先が暮らしていた頃、ノウォン(蘆原)は広い平野地帯で葦原も多かったので、蘆原と名づけたと伝わっている。歴史文献などの記録によると高麗時代から'蘆原'と呼ばれるようになった。しかし、この地域は交通を連結させる役割を行う駅の機能が大きかったため'蘆原'とだけ書かれることよりは主に'蘆原駅'と表記された。 高麗、朝鮮時代には交通路に沿って要地ことに駅院を設置し交通と宿泊施設の便宜を図った。蘆原は南と北を繋ぐ交通路で特に朝鮮時代には都であるハンヤン(漢陽)と近く、江原道と咸鏡道に行く途中の要衝の地であったため駅院が設けられ'蘆原駅'と呼ばれるようになった。

蘆原地域をよく‘マドル’とも言う。葦の生い茂ってる野原に駅院が建てられ正式に‘蘆原’と呼ばれるようになってから漢字名である‘蘆原’に慣れなかった人々は野原に馬が走り、放牧されるのを見てマル(馬)とドル(原)を合わせ純粋なわが国の言葉である‘マドル’と呼んだのである。‘蘆原’と‘マドル’は当時のこの地域の特性を適切に表現している。

私たちの生活の中で'蘆原'と言う名称が使われ始めたのは高麗初期であり以後朝鮮時代まで続いた。しかし、日帝強占期である1914年4月1日に行政区域の変更により蘆原面と海等村面を統合させた'ノヘ面(蘆海面)'になった。ノヘ面(蘆海面)も本格的な都市化過程の中で1963年にソウルの城北区、1973年には道峰区に編入されその名称が消えていった。

このような変遷過程を経て来た蘆原地域は1988年1月1日、行政区域の再調停により道峰区から分区し現在の蘆原区に再誕生した。そして自治区となり区名をこの地域の特性を適切に表現していて、昔からも呼ばれている'蘆原'と決めた。以後、'蘆原'は日ごとに発展し現在ソウル市で二番目に大きい、64万の区民が暮してる自治区に成長し私たちにも親しみのある区となってきた。
  • 沿革
  • 蘆原は三国時代の初期には百済の領土であった。しかし高句麗の長壽王(475年)の時、高句麗に占領され買省郡に属したが、551年に百済·新羅の連合軍により再び百済の領土となった。

    以後、蘆原は553年に新羅の統治下に入り統一新羅時代の景德王の時に來蘇郡に属した。高麗時代に來蘇郡は見州郡に改称されたし顯宗9年(1018年)には楊州に編入され朝鮮時代まで続いた。

    朝鮮英祖の時、各々都を整理し編纂した「輿地圖書」を見ると京畿道楊州牧内には34個の面があった。この中の蘆原面と海等村面は現在の蘆原区の地域を含む。この2地域は1914年に京畿道楊州郡蘆海面となった。

    1963年、蘆原地域は蘆海面がソウルの城北区に編入され城北区に属し、1973年には城北区から増設された道峰区に属した。以後1988年 1月1日道峰区から蘆原区が増設されるなど行政区域の変更を経て今日の蘆原区となった。

盧原の紹介

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