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文化遺産

  • ハンリムサ
  • ハンリムサ(鶴林寺)
  •  671年元曉大師が創建したお寺で水落山の麓となる上溪4洞に位置し鶴が卵を抱いている'鶴之抱卵'の地勢の上に建てたため鶴林寺と名付けた。1579年に焼失されたが1624年に無空大師が修造してから何度目の補修を経て現在に至っている。

  • ヨングルアン
  • ヨングルアン(龍窟庵)
  • 水落山のちょうど下に位置している。創建された時期は知られてないが現在の羅漢殿である自然洞窟の中に昔ながら十六羅漢像を祀っている。1882年、壬午軍乱が起きたとき明成皇后が軍事勢力を避け一晩を過ごした所でもある。乱が針圧され宮に戻った明成皇后が再び権力を握るようになり龍窟庵の住職に感謝の気持で出した下賜金で現存する大雄殿を建てた。それから龍窟庵はお寺の面貌を揃えるようになり現在もお坊さんが起居し仏道の説法と参禅に精進する道場となった。


  • ハクドアン
  • ハクドアン(鶴到庵)
  • 朝鮮時代仁祖2年に無空大師が創建したお寺で佛岩山の西側の麓に位置する。景色がとても秀麗で鶴が来て遊んだと言うことで鶴到庵と名付けられた。高宗15年(1878年)に碧雲大師が重倉したが韓国動乱の時に破壊され現在のお寺は1965年に再び創建したのである。


  • テ·ガンルン
  • テ·ガンルン(泰·康陵)
    (史跡 第201号)
  • 孔陵洞 山223-19番地の佛岩山の麓には泰陵選手村があるがこれを境に西側に泰陵(山225番地)、東側に康陵(山227番地)がある。泰陵は朝鮮中宗の王妃である文定王后のご陵で、康陵は文定王后の息子でありながら朝鮮の第13代目王である明宗と王妃である仁順王后のご陵で二つを合わせ泰康陵と言う。文定王后は坡山府院君、尹之任の娘として1501年に誕生し17才に中宗の3番目の王妃となり明宗など1男4女をご出産になった。明宗が12才の幼さで即位すると垂簾の政を行ったが1565年に崩御され同年7月15日にここに葬られた。
  • 明宗は1534年5月22日に誕生し12才になる1546年に王位についた。即位した当時はまだ幼くお母様である文定王后が垂簾の政を行ったが20才になってからは親政を行った。明宗は善政をしくために努力したが34才の若さで崩御され同年9月22日にここに葬られた。明宗の王妃である仁順王后は靑陵府院君 沈鋼の娘で1545年明宗が即位すると15才で王妃になり順懷世子をご出産し44才で崩御した。


  • サングンブチョンホンダン
  • サングンブチョンホンダン(三軍府淸憲堂)
  • 三軍府は朝鮮初期の軍務を総括する官庁であった義興三軍府の略称で朝鮮末期に至るまで何度も名称が変わった。三軍府は中軍·左軍·右軍となり、全国の軍事業務を担当し宮を守り、都を巡察する権限があった。この木造建物は1868年に建てた朝鮮末期の代表的な官庁建築物である。現在陸軍士官学校内に所在し1967年政府総合庁舎を新築するときにここに移転された。


  • ハングル古碑
  • ハングル古碑
    (ソウル市 有形文化財 第27号)
  • 朝鮮中宗の時の文人李文楗が亡き父である李允濯とお母さんであるコリョン申氏を合葬した墓の前に建てた碑石である。後世の人が碑石とお墓に害を及ぼすのを心配しこの上ない孝心で建てたもので下溪洞山12番地にある。ハングルが刻まれた最古の碑石で国内には一つしかない。訓民正音を頒布した時の板本体、ハングル古体、国文全書の字体が見られ国語学の学術資料としてとっても貴重な文化財である。 碑文の内容: この碑石は神霊である。この碑石を壊したり、この碑石に害を及ぼす人は災禍に合うだろう。これは漢字を知らない人の為の知らせである。


  • 延齡君神道碑
  • 延齡君神道碑
    (ソウル市 有形文化財 第43号)
  • 肅宗の息子で五衛都摠府の都摠管だった李昍の神道碑で陸軍士官学校内にある。父王である肅宗が病に悩まされた時、手厚く看護をしたが21才の若さで亡くなられた。その死を哀悼して特別に立てた碑である。元の所在地は銅雀区大方小学校の校庭であったが、1940年に墓域は忠淸南道禮山郡德山に移し碑石は1967年8月3日に現在の位置に移した。


  • 李蓂神道碑
  • 李蓂神道碑
    (ソウル市 有形文化財 第55号)
  • 朝鮮時代の淸白吏(清廉な官吏)であった李蓂の神道碑である。1574年に建てられ月溪洞766番地に所在する。李蓂は朝鮮中期の文官で字は堯瑞、号は東臯、本貫は禮安である。官職は右議政、左議政を歴任し、性格が清廉で剛直だった為、明宗のとき淸白吏に選ばれた。諡号は貞簡で「貞簡李公神道碑」とも言う。


  • チュンシュク李公影幀
  • チュンシュク李公影幀(忠肅李公影幀)
    (ソウル市 有形文化財 第69号)
  • 朝鮮中期の文官である李尙吉(1556~1637)の肖像画で下溪洞山16-1番地の忠肅李公墓域内のチュンヨン閣に奉安されている。李尙吉は子は士祐、號は東川、本貫は碧珍であるり仁祖の時、色々な官職を歴任した。1637年に丙子胡亂が起きると迎慰使となり廟社を受けて江華島に入ったが翌年、清軍が江華島に押し寄せてくると自ら命を絶った。その後、彼の忠節を称えて左議政に追贈し忠肅公と言う諡号を贈った。この肖像がは横82.7㎝、縦180㎝の大きさで低い紗帽に淡紅色の団領を着て両手を併せ持って座っている姿がとても安定的である。


  • チュンシュク李公神道碑
  • チュンシュク李公神道碑(忠肅李公神道碑)
    (ソウル市 有形文化財 第70号)
  • 忠肅李公墓域にはソウル市の有形文化財 第70号である忠肅李公神道碑がある。碑文は宋時烈が作り、宋浚吉が書いた。


  • ハクドアン磨崖觀音菩薩坐像
  • ハクドアン磨崖觀音菩薩坐像(鶴到庵磨崖觀音菩薩坐像)
    (ソウル市有形文化財第124号)
  • 佛岩山の鶴到庵の巨大な岩壁に刻まれた幅7m、高さ13.4mの磨崖觀音菩薩像である。
  • 觀音像は10個の二重の蓮華で作った台座の上に結跏趺坐の姿勢で座っておりとても事実的に表現されている。明成皇后により造成されて岩の横面に50字の造成名文が残っているため、もっとその価値を高めている優れている傑作品である。


  • カクシンゼ
  • カクシンゼ(恪心齋)
    (ソウル市 民俗資料 第16号)
  • 月溪洞の766番地にある建坪51坪の建物で鍾路区慶雲洞66-7にあったのを1994年3月18日に現在の場所に移転した。和信百貨店を設計した朴キルヨンの作品である。韓屋(韓国式家屋)に玄関を作ったり建物の内部に設けたトイレとお風呂を廊下に連結させた建築様式などは1930年代後半の改良韓屋の姿がよく現れており、韓国の住宅史の変遷が一目でわかる。


  • チョアン(楚安)山朝鮮墳墓群
  • チョアン(楚安)山朝鮮墳墓群
    (史跡 第440号)
  • 朝鮮時代の宦官の墓域と氏族墓など朝鮮の全時期にかける色々な階層の墳墓が集中的に分布されている。朝鮮時代の埋葬文化の貴重な資料としての価値があり特に內侍の墳墓が多い。1694年と年代が明記されている内侍、承克哲の夫婦墓があり内侍の生活研究に基礎的資料を提供している。


  • マドル農謠
  • マドル農謠
    (ソウル市 無形文化財 第22号)
  • マドル農謠は昔マドル平野で農業に勤む時、疲れを忘れ興を添える為に歌った歌でソウルに伝わる有一の農謠である。歌は総十ソリマダンになっている。'85年から上溪洞地域が大規模のアパート群に造成されてから段々忘れられていったのを'90年に文化財専門議員のイ・ソラさんがこの地域で生まれ育ったお年寄りから採録し復元したのである。農謠は現在、芸能保有者第2号である金ワンスさんにより脈々と続いている。